外科治療の向上と優秀な 外科医 を育成する
一般社団法人京都大学外科交流センター
11:00~18:00(月〜金)

京都大学外科学教室 同門・会員 近況報告

京都大学外科同門および会員 近況報告掲載のご案内

現在 京大外科教室には、同門を含め 約1300 名(センター会員850名)という、非常に多くの先生方にご登録いただいており活動も年々拡充しております。

 

一方で、先生方(特に外科同門)の近況を把握することが難しくなったという現状がございます。

 

この課題を解決するため京大外科交流センターでは、WEBサイトまたセンター会報誌に、同門・会員の先生方の近況報告を掲載することとなりました。

2022年 近況報告

袴田文治先生
1949年卒

卒業後、外科教室、静岡県立病院に22年勤務、退職後に外科医院を開業し50年、私は満97歳になりました。現在は、長男が継承し私は50年来の患者さんの診察というよりは、世間話で週3回午前中外来に出ています。最近は、ゴルフ(月に1~2回ラウンド)・テレビ(プロ野球巨人ファン)読書で女房(90歳)と共に余生を満喫しています。

水本龍二先生
1955年卒

既に満92歳となりましたが元気でおります。本庄一夫先生の下で京大1外助教授から、昭和51年9月に三重大学医学部1外教授に就任。附属病院長、医学部長も経験して、平成6年に定年退職しました。以後、松坂市民病院長、回生病院顧問を経て、現在は三重県赤十字血液センターの嘱託として勤務しており、既に10年を経ております。

谷村弘先生
1960年卒

外科大学院生4人のうち86歳の私だけと寂しくなっています。和歌山県における勤務が終了して帰京し、京都市内K病院で外来診療を10年間請負った後、伏見区の高齢独居・認知症・通院透析不能者専用のT老健に3年間祝祭日も休みなく勤務した経験を買われ、現在、滋賀県の社会福祉法人Y石部ケアセンタ―施設長としてJRで通勤しています。

佐藤眞杉先生
1963年卒

ご無沙汰しております。お陰様で私は、健康状態に特変なく朝から晩まで、毎日病院に出ています。厳しい診療報酬の締め付けの下、急性期医療を目指す120床の「佐藤病院」は毎年経常赤字を出し、関連施設に穴埋めをしてもらっています。本年4月に177床に増床・増築しました。現在72事業所(26施設)を運営しています。

今村正之先生
1965年卒

皆さんお元気ですか。私は関西電力病院で神経内分泌腫瘍の患者さんを診ています。滝先生や河本先生と一緒です。今年は高折先生主催の国際・日本膵臓学会合同学術集会でHow to treat gastrinomas in patients with MEN1-surgery or long use of PPIsの講演をしました。欧米で安易なPPI 使用で手術をしない方針がガイドラインに記載され出したので,釘を刺すのが目的です。論文が出たら読んでください。

田中紘一先生
1966年卒

6年前から移植から退きがん医療の道を歩み始めました。がん生物学や分子免疫学を紐解き、研究会の隅っこで拝聴して学んでいます。切っ掛けは神戸での挫折と肝移植後の癌発生患者の死亡でした。東京で統合癌施設とベトナム ハノイの新病院設立に汗を流しています。一意専心で傘寿年でも挑戦できると信じています。

邉見公雄先生
1968年卒

終活、恩送りにとNPO立ち上げ4年目です。交流センターのメンバーも多く、感謝です。「日本から外科医がいなくなることを憂い行動する会」の松本理事長の体調不良、北島副理事長急死などで解散。再建を図るも資金難です。クラウドも考慮中、御支援を!!

梶原建熈先生
1968年卒

ヨボヨボになりつつありますが、元気です。

石原浩先生
1971年卒

天理病院心臓血管外科、第二外科心臓班、フランス留学、福井医科大学第二外科)日笠教授の許で在籍させていただきました。直近では13年営んだ下肢静脈瘤クリニックを閉じ在宅です。

松末智先生
1972年卒

第一外科で研修後38年間天理よろづ相談所病院腹外で勤務し、教職を経て現在は大阪貝塚の精神科施設である木島病院に勤務しています。外科臨床、栄養管理、超音波を研究テーマとして来た経験を活かして、栄養・創傷を始めとするチーム医療を根付かせ精神科患者ケアの向上を図っております。特に精神―栄養関連に興味を持ち取り組んでおります。

嶌原康行先生
1973年卒

JCHO大和郡山病院の院長を11年間務め5年前に退職し、現在は名誉院長・嘱託として週に1回の外来と1〜2回の健診業務の手伝いをしています。また、時々長田外科部長から肝胆道手術に誘って頂いています。時間が少し出来たので旅行をしようと思っていたところ、コロナ禍のためにままならず。専ら晴耕雨読(プランターで野菜・花の栽培、町の図書館通いです(^0^))。交流センターと会員の皆様の益々の発展を祈念申し上げます。

中谷壽男先生
1973年卒

定年後10年近くになりますが、今なお救急の第一線で防護衣を着て、忙しく救急患者に対応しています。私以下4名の救急医の専門は外傷外科、脳外、心外、消外で平均61歳です。患者も高齢なら医者も高齢で、これが真の高齢者救急です。内科系救急医がいないのが悩みです。非常勤でも手伝っていただける方があれば、是非ご紹介下さい。

野田秀樹先生
1973年卒

4月に3期12年務めた長浜市病院事業管理者を退任。院長・副院長時代は現場に出ていましたが、この12年間は外来を除けば外科医らしきことはできませんでした。生涯一外科医でありたいとの思いかなわず今寂しく感じています。好意を得、嘱託医として週5日、WEB公演等で新しい情報を得ながら現場復帰に向けたリハビリに励む日々です。

仁尾義則先生
1976年卒

2008年に開業し14年。2020年に押小路通二条駅の東側に移転。当初常勤医は私1人、2016年3名となり過労死を免れました。今年は乳腺専門研修カリキュラム実施基幹施設に認定され今後も上質な診療を続けたいと思います。患者数も増加し乳癌医療も高度化しております。常勤orパート医を募集中です。興味のある方はぜひご連絡下さい。

猪股裕紀洋先生
1977年卒

52卒、第二外科54入局の猪股です。京大移植外科からH12年に熊本大学小児外科(現在の小児外科・移植外科)の教授となり、小児・成人の生体肝移植を約500例行いました。今は熊本労災病院(熊本県八代市410床)の院長をしています。すっかり熊本人ですが、そろそろ、物価は高くても京都に帰ってのんびりしたいと思うこの頃です。

森本泰介先生
1977年卒

令和2年3月末に京都市立病院長を任期満了退職しました。外科医は完全に卒業し、週に一日だけ発熱外来を担当し、新型コロナ感染症と向き合っています。同時に、京都市内にある100床規模の民間病院で、病院改革のお手伝いをしていますが、課題の多い医療環境や医療行政を横目で見ながら、初めての経験である民間病院改革と闘っております。

伊藤雅先生
1977年卒

35才で赴任してから30年勤続した当倉敷中央病院外科から、現在は当院予防医療プラザと緩和ケアーチームで勤務しております。いわば医療の前衛から後衛に移った立場ですが、いろいろ学ぶことも多い毎日です。古稀は過ぎましたが、せめて我が家の高齢の愛犬が健在のうちは働き続けようと思っております。

田中明先生
1978年卒

老健施設3年目、認知症、循環器、糖尿病、脳神経、呼吸器勉強の日々です。進化の過程でATP合成に関わる13遺伝子がミトコンドリアに残っている理由として、核とミトコンドリア遺伝子のマッチングが肝再生時にATP生成促進に働くことを解明しました。アメリカ肝臓病学会にてinvited speakerとして発表予定です。

小切匡史先生
1979年卒

今年3月で約23年勤めた岸和田市民病院を定年退職しました。今まで、勤務先がまず決まり、勤務地に応じて住居を決めてきましたが、退職を機に、まず、住むところを決めて、その後、縁があれば職に就きたいと思っています。生まれて今まで留学を除いて関西を出たことがなかったので、関西を離れた自然の豊かな地に居住地を求めています。

牧淳彦先生
1979年卒

国立八日市病院,北野病院,大学院,留学,北野病院,枚方公済病院,県立尼崎総合医療センターを経て2019年に定年退職しました。退職前日まで手術できたのは外科医として本望でした。現在回復期リハ病院勤務です。Privateではオーケストラでフレンチホルン、各地でドローン撮影、アマチュア無線などにうつつをぬかしています。

田中満先生
1981年卒

定年退職後勤務延長しています。

山本雄造先生
1982年卒

2022年3月に19年間勤めた秋田大学消化器外科学講座教授を定年退職し、関西に戻りました。4月より神戸労災病院に外科顧問として勤めております。秋田は京都からあまりにも遠く、同門会行事にも参加できませんでしたが、これからは近くなりますのでよろしくお願いします。

江川裕人先生
1982年卒

2011年に東京女子医大に着任し生体・脳死肝移植を軌道に乗せ、関東の地に血液型不適合肝移植を広め、2015年から日本移植学会理事長として日本の移植医療を推進しました。2022年停年でしたが、公的研究事業や治験の遂行のため特任教授としてしばらく東京に残ります。

波多野悦朗先生
1989年卒

COVID感染拡大から2年半、教授就任から1年3ヶ月が過ぎました。直近の課題は、働き方改革、若手のリクルート、国内外への発信、新規治療法開発、色々ありますが、「忙しい」とは言いません!目指せ、交流センター会員数1000人!ご協力ください。

端裕之先生
1991年卒

緩和ケア病棟と緩和ケアチームで、がん治療のサポート及び終末期患者さんの診療を担当しています。ひとりでやっていますが、当院の緩和ケア診療にご興味のある方、いらっしゃいましたら是非お声かけ下さい。

肥田侯矢陝西
1997年卒

大学に戻って10年になります。臨床研究の大学院指導、学生教育(臨床実習)など教育全般と、直腸癌、結腸癌、潰瘍性大腸炎、クローン病、腹壁瘢痕ヘルニアなどの診療に従事しています。先生方からお声をかけていただくのが何よりありがたいです。REDCapも登録ありがとうございます。