お名前: 姚思遠先生(2009年卒) |
所属施設: 京都大学肝胆膵・移植外科 |
この度は外科交流センター冬季研究会において英文論文部門、Highest impact factor賞、および戸部隆吉賞の表彰を頂きまして、身に余る光栄でございます。自分の業績がこのように評価されるということを、非常に喜ばしく思います。
まだ若手であります故、他の先生にお伝えできることは多くありませんが、せっかくの機会でございますので私が英語論文を書き始めた「きっかけ( 論文の意義 )」を振り返りながら今考えていることを文章にさせて頂きます。
きっかけは、自分の存在を証明しないといけないという危機感でした。テレビドラマや漫画と違い、現在の外科医は手術の技量だけでは判断されないということに気がつきました。
スーパースターでない限り、どこの病院で何件手術したかという事実はそれだけでは意味を持ちません。地方の病院で普通に働いていては、注目されることはあり得ないのです。
そこで、論文を書くことにしました。そして気がつけば、書いた論文が自分の足跡になっています。まだ年月は浅いですが、自分があの時代に何をしていたかを明確に辿ることができます。
また、こうして表彰されることで、存在を証明することができました。医者に限らず、社会は「どんな人か」よりも「何をしてきた人か」に重きを置きます。
時と共に薄れていく記憶のようなものではなく、消えない形あるものを拠り所にする必要があるのではないでしょうか。
『Publish or Perish』という諺(ことわざ)がありますが、『perish』というのは、『ダメにする』という意味の英語です。
自分のやってきたことを形にまとめるのか、それとも持ち腐れにするのかという、研究者を鼓舞する言葉だと思います。
しかし最近は、『Publish and Perish』という言われ方もされているようです。“形にして出版されたはいいけど、広く読まれ世の役に立つような価値がある論文ですか?”という警鐘です。振り返ると、私は学会や雑誌にacceptされることを目標として学術活動をして参りました。
しかし、どこか「Publish and Perish」を体現していたように思います。仮に自分の研究が医療の発展に寄与することがあれば、自身の喜びと研究の価値はより大きいものになると想像します。
一朝一夕に達成できることではないと分かっていますが、目標を持って階段を一段ずつ上っていくことが今は大事と信じています。
最後になりましたがこの場をお借りして、神戸市立医療センター中央市民病院および西市民病院にてご指導頂きました先生方に改めて御礼申し上げます。中央市民病院で論文執筆の初歩を学び、西市民病院ではそれを発展させることができました。私の外科医としての礎もこの2つの病院で築かれました。自分の存在を証明し続けるためにこれからも学術活動を続けていくつもりです。